30代にして衰えを感じる

記事作成画面を呼び出した途端、何を書こうと思ったか忘れてしまった。…確かさっきまで30代の体力の衰えについて考えていて、20代はどうだったか振り返っていたような…

体力の衰えを感じるのは、音楽を聴く場面。ただオーディオの前に座って、聴いているだけのことが長時間はできなくなっている。アルバム1枚を聴くくらいならなんとかなるけど、休みの日だ、気合いを入れて聴くぞ!となるとキツくなる。何枚も聴けない。20年近く音楽を聴き続けているから、そろそろ飽きたのかなと思ったけど、それなら1枚も聴く気にならないんじゃないかな。衰えだと思う。

ネットで見ると、ゲームを愛好している人たちの中にも同じような感覚を持っている人がいるようだ。彼らは、サクっと軽くできるゲームに移っているようだ。音楽でサクっと軽くってあるのだろうか。BGMとかになるイージーリスニング系の音楽かな?それだと聴くというより、流す感じなりそうだ。それはなんだかなぁ。

僕は、よく真面目だと言われるくらいだから、音楽を聴くときも手を抜けない。量を聴けなくなったのは仕方がない。それなら、1枚をもっと味わうようにしたらいいと思う。右も左もわからずただ闇雲に聴いていた20代は量に頼るしかなかった。30代からは、20代の経験と蓄積をもとに、じっくり味わう聴きかたに移っていこう。

音楽を聴く時間が減ると、ほかに何かできる時間ができる。何か新しいことをはじめようかな。

予定がない生活と期限のない用事

のんびりとした生活を送っている。あまり予定がない。仕事に行く以外はほとんど予定が入っていない。こうなると、やっておかないといけないけど、期限がないかとても長い用事に全然取り掛かれない。たとえば、仕事のときに履く靴下を買おうと思っているのだが、全然買いに行く気にならない。仕事の靴下は安全靴用の厚くしっかりとしたもの。これが疲れなくていいだのが、ほかの適当なもので代わりがきく。今日は買いに行こう買いに行こうと考え続けていて、考えるだけで疲れてしまった。考えているよりさっさと買いに行ったほうがいいに決まってる。考えに苛まれずに後の時間をのんびり過ごすことができるんだ。

きっと予定がぎっちりと詰っている人は、あれこれ考えずに済ませてしまうだろう。だって、次の予定が迫ってくるのだから、やっておかないと何時になるかわからない。いくら期限がないとは言え、いつになるかわからないのであればできるうちにと考えるはずだ。でも、予定がほとんどない僕は、全然切羽詰まることがない。よくないことだ。だらだらしてしまう。

期限ないものでも、自分で期限を作ればいい。けれどもそんなにうまくいかない。だって、自分は期限がないことを知っているのだから、自分に強制するように仕向けても強制できっこない。誰かからの頼まれごとならすぐに取り掛かれるのに、自分のこととなると俄然難しくなる。期限がないことは重要度が低いことなのだ。だからいつまでたってもできない。じゃあしないままでいいのではないか?必要になったらすれば。先のたとえ話でも、"適当なもので代わりがきく"とある。とりあえずは適当なもので代替しておく。

アナログレコードとモノラル音源

ここ数年、ミュージシャンがラジオで語ることでよく聞くな思うことがある。アナログレコードの良さと、モノラル録音音源の魅力だ。特にアナログレコードの良さについて語る人は増えた。その前は、レコードの良さを言っているのは山下達郎くらいしか聞いたことがなかった。

みんながみんなレコードがいいというので、自分もプレーヤーといくつかのレコードを買って聞いてみた。うーん、違いはあるなとは思ったが、レコードのほうがいいとは思えなかった。レコードはオーディオ環境に大きく左右されるようで、自分の環境でよさを感じるのは厳しいのかなというのが感想だ。

モノラル録音がいいというのは、僕も10年位前から感じていた。一時期、クラシックをよく聴いいていた時期には、モノラル録音というだけで買ったCDもたくさんあった。モノラルは広がりがないしリアルではない音だがガツンと来る。そのガツンと来る感じが気に入っている。

ポエム・聖域たる要塞

自分だけが入れる要塞があった。そこには好きな音楽や小説、映画がたんまりと装備されていた。そこに外部との通信・インターネットができるパソコンが導入された。これにより秩序に乱れが生じはじめた。要塞という聖域が侵略される。外部の人間が思っていること、発信していることがどんどん入ってくる。要塞は、自分が独りになって世界との距離感をじっくり醸成される場であった。そこに日常的に外部の考えがひっきりなしに入ってくるようになった。世界との距離感が掴めなくなってしまった。要塞は陥落の危機である。インターネットを遮断すべし。

風邪の予感

喉が痛い。寒気もする。風邪を引きそうな予感。
でも、ここ何年も"予感"までで本格的に寝こむということはない。予感がしたら、対策してしまうから。

対策は、今の季節だとみかんを食べる。お茶をたくさん飲んで水分を摂る。意識的にするのはそのくらい。月並なことだけだ。
むしろ、予感に気づくことのほうが重要だと思っている。僕はもともと病気持ちなのもあって、身体の変化には敏感になっている。少しいつもと違うところがあると、違うなと思う。身体からのサインを見逃さないように気をつけている。

特別なことをする計画。

クリスマスだし、もうすぐ年末だしと、よくわからない理由で特別なことをしたくなった。特別なこととは一日中ゲームをして過ごすこと。昔のレトロなスーパーファミコン時代のRPGをひたすらやる計画。ちょうど明日が休みなので明日やってみることに。

その前に前哨戦、ちょっとだけプレイしてみた。ゲーム内の時間が過ぎるのが遅い。なかなか進まない。レベルがなかなか上がらない。パーティが弱いまま進めていっても、すぐに全滅してしまう。もっとサクサク進めたいと思ってしまう。じっくりプレイできないのは、現代人がいろいろなことについて"待てない"ことと関係があるのだろうか。そもそもゲームをあまりしない僕のような人間がサクサクを求めるだけなのか。

計画は頓挫する可能性が高くなっている。

自省する

暇さえあれば、学生時代のことを振り返って「何をしてきたんだ?」「何を得たんだ?」と問いかけることをしてきた。結局それは、今の自分の体たらくを棚にあげて、過去に現状の責任を押しつけているだけだ。現実からの逃げだ。仮に学生時代に本当に何もしていなくて、ボーっとしていただけであっても、それは誰もができることではない経験である。何もしないでボーっとしているのは、割と難しい。冒頭の「何を得たんだ?」の問いの答えは、視点を変えることで簡単に見つけることができる。

で、何を得たんだろう。20代を何もしないで過ごした成果として。そんなものはまだ30代に僕にはわからない。ひと言で表わせる程度のものではないはずだ。でも、ひとつ言えるのは、物事にはいくつかの視点があって、視点を変えることで如何ようにもなることに気づいたのは得たもののひとつだっただろう。